現代語訳正法眼蔵 第三巻

現代語訳正法眼蔵 第三巻

「日本最大の思想書」(日本大百科全書)であり「正伝の仏法」を説いた道元禅師の「正法眼蔵」を、原典の字句に忠実に、西洋哲学の概念も応用しながら現代語訳に翻訳・解説した西嶋老師の代表著作。その第三巻。
収録巻:嗣書・法華転法華・心不可得(前)・心不可得(後)・古鏡・看経

以下は本書より、各巻の冒頭の大意を抜粋したものです。

一六、正法眼蔵嗣書

(本巻の大意)嗣書とは真理体得者である師匠が、真理を体得した弟子に対して、真理体得者であることを認証するために与えた書面をいい、本巻において道元禅師は、その嗣書の仏教的宇宙秩序伝承における重要性と禅師ご自身が宋の国において見られた嗣書の実例について述べておられる。

一七、正法眼蔵法華転法華

(本巻の大意)法華という言葉は、法華経すなわち妙法蓮華経に由来している。法華経においては、このわれわれが現に住んでいる宇宙を、その素晴らしさのゆえに、大きな白い蓮の花にたとえており、したがって法華とは、われわれが現に住んでいるこの宇宙そのものを指す。そこで法華転法華とは、法華が法華を転ずるの意味で、宇宙が宇宙自身を転動させていく、生をとした宇宙の活動を意味している。また法華転法華はこれを法華転と転法華との二つの言葉に分け、法華転とは宇宙が自動的に転動して行く姿を指し、転法華は真理体得者が宇宙を転動させて行く姿を指すと解することができる。いずれにしても法華転法華とは生食として躍動する宇宙の姿を意味し、道元禅師は本巻において、法華経の中に含まれている語句を引用しながら、それに対する解釈を述べ、禅師ご自身の法華経観・宇宙観を明らかにしておられる。

一八、正法眼蔵心不可得

(本巻の大意)心不可得という言葉は、金剛般若経からの引用であって、「われわれの意識は、その意識内容を追体験することはできるが、意識内容の追体験ではなく意識そのものを把握しようとしても、その把握は不可能である」ということを意味している。而してこの「意識そのものは把握不可能である」という事実は、行為の世界、現実の世界における体験を通して始めて知り得るところであるから、単に字句を字句として抽象的に理解しようとする段階では、字句の真の意味を了解することができない。道元禅師はこのことを徳山宣鑑禅師と売餅の老婆との問答を通じて語られ、心不可得という言葉の真の意味を解明しておられる。

一九、正法眼蔵心不可得

(本巻の大意)一八の正法眼蔵心不可得と趣旨は全く同一である。ただし奥書に「爾時仁治二年辛丑夏安居。于雍州宇治郡觀音導利興聖寶林寺」とあり、一八の心不可得においては、奥書に「爾時、仁治二年辛丑、夏安居、于雍州宇治郡觀音導利興聖寶林寺示衆」とあるから、一八のそれは夏安居の際における講義の筆録であり、一九のそれは、同じ講義の草稿ではないかと思われる。しかしこの推定はいまだ充分な検討を経ない臆測であるから、詳細は後学者の研究に待ちたい。

二〇、正法眼蔵古鏡

(本巻の大意)本巻にいう古鏡とは、古今を通じて光り輝く鏡の意味であって、古は単に過去の承を意味せず、古今すなわち永遠を意味している。では古今を通じて光り輝く鏡とは一体何を意味しているのであろうか。古来この語は、智慧・真智すなわち般若を象徴するものと解されている。しかし古鏡の意味が単に智慧・真智等の意味のみに尽きるのであれば、敢えて古鏡というような象徴を持ち出すまでのことはなかったのであるから、古鏡は単に真智すなわち行為的直観の承でなく、真理体得者に伴う威儀とか、猿のような動物の中にも認められる自然の本性とか、その他宇宙に遍満する仏性とか森羅万象とかの一切を象徴する言葉として使用されているものと解される。そして道元禅師は本巻において、この古鏡にまつわる古来からの説話を幾つか取り上げ、それらの説話における古鏡というものの意味を解説され、それによって古鏡という言葉をどのように理解したらよいかについて、われわれに説示されている。

二一、正法眼蔵看経

(本巻の大意)本巻は看経すなわち経典を心静かに読んでその内容を汲み取ることに関し、道元禅師のお立場からその意味を述べておられる。
この場合、看経という言葉は念経とか諦経とかという言葉と並置されているから、看経とは経典の内容を単に思念すること(念経)とか、経典を声を出して読むこと(謂経)とかとは異なり、あくまでも経典を心静かに読んでその内容を汲み取ることである。しかしそれと同時に、正統な仏教においては、古来、たとえば禅躰のまわりを威儀堂々をとして一周することをもって、看経に換えることが行なわれている。これは真理を体得した大導師が威儀堂々をとして行なう行為はすべて、ただちに宇宙秩序と一体化することであり、宇宙という経巻を全身をもって看読することであるとの自負から、このような行為をもって真の看経と解する結果生れて来るのである。そして道元禅師はこのような看経についても、懇切な解説を試みておられる。

西嶋愚道和夫老師は、生前ご自身の「正法眼蔵提唱録」全34巻を各地の図書館に寄贈され、それを読んで老師の講義に参加する方が多数いらっしゃいました。老師はその他のご著書も希望者に広く配布することを希望されていました。多くのご著書はしだいに絶版となり、書店等での入手が困難になりつつあります。当サイトではご遺族の同意を得て一定の条件のもとで、希望者にご著書のPDFデータを配布します。

※PDFを閲覧の上のダウンロードをご希望の方はこちら